2014.7.24

記憶の中の「におい」が
再現される未来の技術とは。

プロフィール

中本高道 教授

  • 東京工業大学 精密工学研究所

‘84東京工業大学理工学研究科電気電子工学専攻修士課程終了後、日立製作所に入社し、LSI自動設計ツールの開発に従事。‘87東工大工学部電気電子工学科助手として大学へ戻り、‘93同学科助教授、’96年米国Pacific Northwest研究所客員研究員を経て‘13現職。

工学的な視点から、
においの分野に挑戦

―現在の研究(においのセンシング※1、遠隔地でのにおいの再現<嗅覚ディスプレイ>など)について教えていただけますか。
「においを感知する」というと、ガスセンサーのようなものを思い浮かべる方も多いと思いますが、これは特定のガスを検出する装置です。私の行っているセンシングシステムでは、大気中にあるさまざまなにおいを認識して、識別します。さらにその識別したにおいをインターネットで遠隔地へ送り、再現するところまで現在研究がすすんでいます。これが嗅覚ディスプレイと呼ばれるもので、実物がなくてもにおいを再現することができます。
80年代の後半に「インテリジェントセンサー」というものが出始めて、“感知する”だけでなく、人工知能を持ったセンサー、解析や情報処理能力を持ったセンサーの開発が始まりました。今ではマイクロコンピュータとセンサー装置の組み合わせなど珍しくないのですが、当時は新しい考え方で、研究者としての興味を掻き立てられました。そうした工学的な興味の対象物として“におい”に着目したのは、視覚・聴覚に比べて“嗅覚で感知する”という分野は(今でもそうなのですが)あまり研究が進んでいなかったからです。「じゃあ自分がやってみよう」という感じでした。

産業のプロセスを効率化する
「においの解明」

―研究が進むとどのようなことが可能になりますか?
においや香りに関係する産業は意外とたくさんあるのです。消臭・芳香という分野ももちろんですが、人間のもっと根源的な営みとして、飲食には必ずにおいが関連します。食べ物や飲み物を扱っている現場では、専門家の方々がひとつひとつにおいを嗅いで、良品・不良品を判別しています。官能検査と呼ばれる、人間の五感を使った品質チェックですが、人間の感覚による判定であるため判定者のコンディションに左右されますし、主観的でもあります。そして何より大量のサンプルを検査するのに時間がかかり、疲労もします。他の工業製品などでは、たとえば釘を作る場合は寸法と規格があり、その誤差がプラスマイナス何ミリの中であれば合格、外れれば不合格といった物差しがあります。においや香りを検出して数値化することができれば、食品の分野でもこうした品質の優劣や特性の区別・識別などが、より速く客観的に行えると思ったのです。工学の知識を生かして新しいことに挑戦し、のびしろの大きい嗅覚分野の研究にモチベーションを感じています。

―においはどのように分類・数値化され、作られるのですか?
においとはいくつもの化学成分からなる混合物で、それらにおい物質が一定の割合で混ざり合い、受容され、脳で処理されたイメージによって、人は「○○の香りだ」と認識します。色の場合にはRGB(レッド、グリーン、ブルー)など三原色がレセプター(受容体)となり、そこからいろいろな色を作り出すことができますが、においの場合はレセプターの数が400弱ほどあるといわれているので、それらの組み合わせを検証しながら目指すにおいを作ることは容易ではありません。そこで、すでにあるにおいのデータを取り込み、いくつかの要素に分解して、そのにおいのもとになっている“要素臭”を見つけ出す、というやり方を用いています。たとえば、たくさんの精油についてにおいを測定します。これを官能検査でやると大変ですが、質量分析器※2にかけ、その出力を解析すれば「このにおいのもとになるのはこれとこれ」、という感じで、感覚での判定から数学の世界に持ち込めるのです。同じ要素臭の組み合わせでも、それぞれの構成比を変えることで、オーガニックオレンジ、ブラックペッパー、ぺパーミントなど、異なる香りを作り出すこともできます。なるべく少ない候補の要素臭からたくさんの香りが作れるということになれば、効率的にいろいろなにおいを“再現”することができるようになります。

においは、
記憶や体験をより豊かなものにする

―こうした研究の先にある私たちの未来には、どのような変化があるのでしょうか
現在のマルチメディアでは視覚、聴覚に訴える技術が高度に進化しています。よりリアルに感じられる音や色で現実世界を“再現”しています。しかし、嗅覚への適用はまだ進んでいません。音であればマイクロフォンで拾ってスピーカーで音を出し、映像ならばカメラで撮ってディスプレイで映し出しますが、においの再現装置というのは、今のところ身の回りにはあまり例がありません。既にお話しした要素臭、「においのもと」の組み合わせで、いろいろな香りを自在に瞬時に再現できると同時に、そうした技術が現在日常で使われている電子デバイスに搭載されれば、あらゆる分野で人々にとっての新しい体験が生まれると思っています。においというと、電子工学や情報工学の分野ではなく化学と思われがちですが、五感を実際にセンシングして再現するエレクトロニクス分野のなかで、より豊かな未来を構築する基幹の技術としてこれからはもっと注目されていくと思います。エンターテイメントや芸術の分野でバーチャルリアリティ(人工現実感)を作り出す際には、香りという要素は重要な役割を果たします。すでにゲームや映画とのコラボレーションも生まれていますし、皆さんの生活の中でも香りの記録や再生が可能となる日も近いかもしれません。

※1 センシング…センサーを利用したにおいの計測。
※2 質量分析器… 気体が放電され、イオン化した原子の流れに電場および磁場をかけ、その質量スペクトルを得る装置。

※記事はすべて取材当時の情報です。

プロフィール

中本高道 教授

  • 東京工業大学 精密工学研究所

‘84東京工業大学理工学研究科電気電子工学専攻修士課程終了後、日立製作所に入社し、LSI自動設計ツールの開発に従事。‘87東工大工学部電気電子工学科助手として大学へ戻り、‘93同学科助教授、’96年米国Pacific Northwest研究所客員研究員を経て‘13現職。

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